トークイベント ヤノベケンジ×樋口昌樹×宮島達男 ~ステートメントとコミットメント~ 闘うアーティストの社会的アプローチ in BLD GALLERY  

『柿の木の物語』 出版記念展覧会 関連イベント
第1回トークイベント
~ステートメントとコミットメント~ 闘うアーティストの社会的アプローチ
ヤノベケンジ×樋口昌樹×宮島達男                     

 第1回目は「社会性とアート」ということをテーマに、話を進めた。
ヤノベさんは1997年よりチェルノブイリ訪問から核問題に接近。福島原発事故では、「サンチャイルド」を制作し核に負けない姿勢を明らかにした、社会と真正面から格闘する作家である。一方、樋口さんは、資生堂に所属しながら現代アート展を次々と企画。「柿の木プロジェクト」が日本の美術界から無視されていた初期段階、最初に公の原稿を書き、プロジェクトを輪郭付けた人物である。
 話は日本の現代美術界には何となく、核をはじめとする、社会的なテーマには触れてはならない雰囲気があり、「柿の木プロジェクト」も当初はそう見られ批判されたと宮島が述べると、樋口さんはこれを「現代アート村」という閉じた世界に浸ると一般の素直な感覚がマヒする病に陥ると批判。そして、「柿の木プロジェクト」に参加する子どもや大人は、別に「これはアートか?」なんてことは考えずに、単純に「あ、おもしろい。すてきだね」と入ってくる。それが、このプロジェクトがこれだけ長い時間世界各国で、多くの人を惹きつけてきた理由なのではと分析した。
 次にヤノベさんは、最初はサヴァイヴァルというテーマでやってきたが、95年の阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起き、自分の中にもっとリアリティを持ち込むという意味も含めて、チェルノブイリに行ったことを紹介。その後、トラやんというキャラクターでシリアスなテーマを展開し、一般からは大ウケなのに美術界からはまともに取り上げられなかったことを述懐した。そして、彼は宮島がヴェネツィア・ビエンナーレで自作と「柿の木プロジェクト」を「サヴァイヴァル」と「リヴァイヴァル」いうテーマで同時に展示したことを評価。宮島は、あの時、イタリアの新聞が「地元の子供達が遊べる初めてのビエンナーレ」と評価してくれたのに、日本にまったく情報が伝わってこなかったことを紹介。しかし、そこで、世界中から柿の木へ200件以上の申し込みがあり、プロジェクトが一本立ちできる端緒ができた。と述懐。
 さらに、3人はアーティストがリアリティを持って社会的なテーマに関与しなければならないとの共通認識を確認。しかし、平和へのアプローチとしてアートは大きな役割を任じられるとの認識も共有した。
 そして、今後の柿の木プロジェクトの未来像について、宮島は「本当に自立したアートプロジェクトになると良いですね」と結んでこの対談を終えた。
 
 その後、3人で質疑応答を受けた。

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