宮沢賢治の故郷、岩手県江刺市字柿の木にある広瀬小学校から植樹の応募をしてくださったのは、その年退官を予定されていた松本賀久也校長先生です。こども達に残していきたい大切なメッセージとして、この「被爆柿の木二世」を託したいと考えました。植樹式ではこども達がこの柿の木のことを考える機会として、6年生を対象に樹木医・海老沼先生による「被爆柿の木二世」の特別講義が設けられました。この松本先生の想いを受け、宮島達男の「柿の木の10年後、私の10年後」と題したワークショップを実施しました。これは6年生を対象にしたビデオインタビューのワークショップと、全校生徒106人で描くドローイング・ワークショップの2つから構成されています。
ビデオインタビューでは、6年生20人に「柿の木の10年、私の10年」という質問をし、答える様子をビデオに収録するというもので、こども達と柿の木の「心の接点」を創出する狙いを持っています。ビデオの前の6年生は、それぞれの夢や将来を語り、そして柿の木の10年後に想いを馳せました。全校生徒のドローイング・パフォーマンスでは、宮島達男が描いた16メートルに及ぶ「10年後の柿の木」のまわりに全校生徒が10年後の自画像を想像して描くというもので、10年後の展示予定と再会を約束しました。こども達と柿の木の共生を自覚させ、10年間の柿の木との時間を開始させる意味を持っていました。
その後、この広瀬小学校では、父兄による柿の木実行委員会の活動が開始。苗木の後ろに由来を説明した立派なボードを設置し、定期的な集会を行っています。また、毎年1月になると「雪囲いの式」といって、寒い岩手県の風土の冬に苗木が耐えるように、雪の降る前にみんなで苗木の根元の土に苗代を敷くという行事も開催されるようになりました。寒い岩手の地でも、柿の木の苗木は暖かい人々の心に支えられ、すくすくと育ちました。
2007年8月15日には、10周年を記念するイベントが、松本先生、海老沼先生、小池先生、宮島達男出席のもと開催されました。あの時描いたドローイングも展示され、6年生のインタヴュービデオを皆で見ました。また、立派に育った柿の木には、赤いL.E.D.が取り付けられ、星降る夏の夜に点灯式が行われました。すでに結婚をして、こどもを抱いて参加している当時の小学生。時の流れとともに柿の木が継承されてゆくことを実感しました。