海外植樹申し込み第1号として「被爆柿の木二世」が長崎からフランス・ストラスブールに渡りました。きっかけになったのは、1996年4月、フランスのカルティエ美術財団で開催された宮島達男の展覧会です。オープニングパーティーで宮島は、カトリーヌ・グルーさん(美術史家)に出会い、進行中の柿の木プロジェクトについて話しました。以前から都市と自然に関する様々なアートプロジェクトに参加してきたグルーさんは、宮島の話に非常に関心を持ちました。2人は核戦争、核実験、そしてアートに関していろいろと貴重な意見交換をして、後日グルーさんから宮島はあるプロジェクトを紹介されました。それはグルーさんが企画しているストラスブールにおけるアーバンデザインのプロジェクト(1997年6月)でした。宮島と柿の木プロジェクト実行委員会とで話し合った結果、グルーさんのプロジェクトがストラスブール市の職員、日本領事館、ヨーロッパ領事館関係者に紹介されたところ、予想以上の反響がありました。しかし結局このグルーさんのプロジェクトでは、苗木を植樹できませんでした。
その後、ストラスブールでの植樹に結びつくまでには、たくさんの人たちが関わってくれました。この苗木のことをグルーさんから聞いたストラスブール在住のアーティスト、ミッシェル・クリーガーさんは「戦争中もドイツとの国境だったために戦火の中心となったストラスブールに“被爆柿の木二世”を!」という熱心な呼びかけを行ってくれました。そのミッシェルさんの熱意は街全体に広がっていき、結果、市や植樹先となった美術学校の人々を動かしました。
1998年4月20日の植樹の当日、ストラスブールを訪れた実行委員会のメンバーは街中の人たちから歓迎を受け、この苗木のために動いてくれた人たちの力を感じました。
1998年4月20日の植樹の当日、ストラスブールを訪れた実行委員会のメンバーは街中の人たちから歓迎を受け、この苗木のために動いてくれた人たちの力を感じました。